ハビタット
「甲殻類等」における希少種を保全するうえで,ハビタットの理解が重要である。なぜならば,「甲殻類等」に属する多くの種は移動能力が低く,ハビタットの劣化,消失および断片化に強く影響を受けるからである。結果として,掲載種の多くが上述したハビタットの劣化,消失および断片化によって絶滅の危機に瀕している。
ハビタットの劣化とは,ハビタットを構成する環境要因の一つ以上が種の生息にとって不適になってしまうことである。水生生物の場合,水質汚濁などがこれに該当する。この場合,水質汚濁を改善すれば,減少した希少種の個体数の回復が期待できる。ハビタットの消失とは,文字通りハビタットそのものが失われてしまうことである。例えば,道路の拡幅などに伴い,河岸沿いの塩性湿地が完全に埋立てられるようなケースが該当する。塩性湿地に依存する生物にとっては,生息条件が完全に失われてしまうため,個体数は減少する。このようなハビタットの消失の場合,近傍の水質汚濁を改善しても減少した生物の個体数の増加は期待できない。少なくとも,ほかの場所に消失したハビタットを創出する必要がある。そして,ハビタットの劣化や消失は,ハビタットの断片化を引き起こす可能性がある。例えば,河川に堰が設置された場合,移動能力の低い生物は堰の上下流で交流ができず,それぞれの生息地が断片化されてしまう。このような断片化はより大きなスケールでも生じる。例えば,カブトガニは福岡県玄界灘の沿岸にかつて広く生息していたことが分かっているが,現在の生息地は断片化してしまっている。ハビタット間の距離が大きくなるほど,繁殖個体の交流が難しくなる。さらに,浮遊幼生期を有する種においては,ハビタット間の距離が大きくなるほど浮遊幼生が定着できない危険性が高まる。
以下に,「甲殻類等」における福岡県内の保全上重要なハビタットとして(1)干潟,(2)塩性湿地,(3)河川感潮域,(4)淡水域の概要と各ハビタットの代表的な地域を示す。これらのハビタットは多種多様な希少種が生息する,あるいは特定の希少種の個体数が多い。ただし,既に部分的な環境改変が生じており,これらのハビタットが必ずしも健全とは限らないことを留意いただきたい。可能であれば環境の保全に加えて,積極的な自然再生を行うことが望ましい。また,(1),(2)および(3)のハビタットに生息する希少種については,2014年版の福岡県レッドデータブックを参照していただきたい。
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(1) 干潟・潮下帯
潮の満ち引き(潮汐)によって冠水と干出を繰り返す範囲を潮間帯と呼び,常に水域である範囲を潮下帯と呼ぶ。潮間帯の下部に形成される砂や泥などの細粒分が堆積した地形を干潟と称する。よって,基本的に干潟は河川の河口(後述する河川感潮域)から前浜(海岸線より沖側)にかけての沿岸域に形成される。県内の玄界灘では加布里湾,引津湾,博多湾(今津・和白)および津屋崎入江など,各地に小・中規模の干潟が分布する。周防灘と有明海の沿岸一帯には中・大規模の干潟が存在し,曽根干潟,長井浜および旧三池海水浴場などは希少種が豊富である。そのほか,一級水系や二級水系の河口部には河道や中州に沿って小規模の干潟が形成される。小規模河川でも希少種が豊富な場所もあり,玄界灘では一貴山川河口,響灘では原田川河口,周防灘では奥畑川河口,有明海では大牟田川河口がその代表例である。なお,「甲殻類等」の概論と各種の解説において県内の沿岸海域を示す際には,玄界灘,響灘,周防灘および有明海に大別している。このうち,玄界灘,響灘および周防灘の境界は文献によって異なるため,ここでは環境省の資料(https://www.env.go.jp/water/heisa/heisa_net/setouchiNet/seto/kankyojoho/sizenkankyo/gaikyo.htm)に基づき響灘と周防灘の範囲を定めた。さらに局所を示す際には,湾や浜などの名称を表記した(例えば,博多湾や新宮浜など)。
干潟の景観,ひいては干潟を構成する環境は各地で様々である。例えば,先述した博多湾の今津干潟は泥や砂泥などの細粒分で構成されており,和白干潟は今津干潟よりも粒径の粗い砂で構成された干潟が広がる。結果として,同じ博多湾に位置する干潟でありながら,今津干潟と和白干潟の生物相は異なる。ほかにも,河川内の干潟と前浜の干潟では,前者の方が淡水の影響を受けやすい。このような環境の相違が生じていることで,多種多様な生物種が生息できていることを理解する必要がある。言い換えれば,1か所の干潟だけでは干潟に依存して生息する生物を全て保全することはできないことを理解しなければならない。
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(2) 塩性湿地
塩生植物が生育する潮間帯上部の環境およびその周辺を塩性湿地と呼ぶ。本ハビタットも干潟と同様に河川の河口から前浜に沿って形成される。特に,玄界灘では雷山川河口や津屋崎入江,周防灘では祓川河口や上ノ河内川(上り松川)河口,有明海では筑後川河口と矢部川河口に発達した塩性湿地がみられ,希少種も豊富である。塩性湿地の中でも特にヨシ原やその縁辺をハビタットとする種は絶滅の危機に瀕するものが多い。これは塩性湿地自体が小規模であることに加えて,河岸のコンクリート化や道路拡幅といったインフラストラクチャー整備に伴い,多くのハビタットが劣化,消失および断片化したためである。加えて,発達したヨシ原は,河道の流下能力の低下を引き起こし,洪水時に河川氾濫のリスクが大きくなる。そのため,氾濫のリスクが高い河川では今後も頻繁にヨシ原が掘削されることとなる。いずれの事業も人間が豊かに,かつ安全に生活するうえで欠かせないものではあるが,その結果として多くの種が絶滅危惧あるいは準絶滅危惧に選定される状況となっていることを理解すべきである。
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(3) 河川感潮域
河川の中でも潮汐の影響を受けて水位変動が生じる区間を河川感潮域と呼ぶ。この区間には上述した干潟や塩性湿地が形成されるため,希少種が豊富である。加えて,干潟や塩性湿地の底質は比較的細粒分で構成されているが,河川感潮域の上流は粒径の粗い砂礫で構成されることがある。このような環境には,干潟や塩性湿地とは異なる生物が生息するため保全上重要である。しかしながら,河川感潮域は河口堰によってその連続性が失われやすく,玄界灘に流入する汐入川や遠賀川では河口堰によって感潮区間の消失が著しい。感潮区間から淡水区間にかけての連続性が確保されている河川は僅かである。
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(4) 淡水域
塩分の影響がない淡水域のハビタットとしては,具体的に河川,池沼,水田,水路,地下水域などが挙げられる。県内では大河川である山国川水系,今川水系,遠賀川水系,那珂川水系,筑後川水系,矢部川水系は淡水域のハビタットとして重要であり,加えて糸島市域や能古島,志賀島,大島などの小河川や上毛町域,豊前市域の池沼・水田・水路には現在も良好な環境が残されており,「甲殻類等」に該当する生物の保全上重要である。また,今回は詳細な調査ができなかったが,洞窟性,地下水性あるいは渓流性の甲殻類やウズムシ類については,希少種として評価しうる種が県内にも分布する可能性が高いことを付記しておく。今後,こうした環境の調査も必要である。河川域においては治水を目的とした改修事業や浚渫事業,水田域においては圃場整備事業による水路のコンクリート化や乾田化,ため池廃止事業などの影響で,良好な環境は県内全体で失われつつある。また,淡水域と海水域を行き来する通し回遊性のヌマエビ類にとっては,河川横断構造物の影響も無視できないものとなっている。