保全対策
今回選定した昆虫類の種は,山地に生息する種とともに,主に海岸や河川敷,草原,里山などの低山地など,身近な環境に生息するものが多い。これらの場所は人為的な影響をまともに受けやすく,昆虫類の生息状況については今後も注意深くみていく必要がある。特に,止水性湿地を利用する種は,絶滅していないまでも全体的に極めて危機的な状況にあり,前回改訂時から引き続き状況が改善していない。今後は,積極的に適切な保全対策を進めていく必要がある。以下に,現在県内で特に問題となっている危機的要因をあげ,要因ごとに保全対策を記述する。
- 開発による生息地の減少
海岸域では,開発による海浜性草原群落の減少や分断化によって昆虫類の個体数が減少しているが,特定の植物との関連が知られていないものも含まれるため,海浜草原全体の保全が有効である。陸水域における昆虫類の最も大きな減少要因は生息環境の破壊である。止水域においては従来からのため池改修や圃場整備に加えて,近年,防災対策に伴うため池の埋立てが各地で進行している。流水域においても近年の豪雨災害の防災・減災を目的とする河川改修や水路のコンクリート化などが著しい。このように,特に水生昆虫類の状況は今後も見通しが明るくないが,一方で,県内において休耕地に造成した湿地ビオトープで希少種を含む50種類以上の水生昆虫類の生息が確認された事例なども報告されている。したがって,現状で種多様性が高く希少種が生息する場所は厳重に保全対策や維持管理を行うと同時に,休耕地や都市公園,住宅地などを利用した湿地ビオトープの造成を進めていくことは,水生昆虫類の保全対策として極めて有効かつ重要である。流水域や沿岸域については,公共工事での破壊が行われないよう適宜有識者と協議して環境配慮対策を適切に進めていく仕組みをつくっていくことが必要である。また,現在はスギ・ヒノキなどの計画造林は少なくなっているとはいえ,依然として自然林ならびに二次林の伐採が行われている。このような開発が行われる前に,十分な生物相についての学術的調査を行い,記録を残すとともに保全措置を十分に行う必要がある。風力発電や太陽光発電などいわゆる再生可能エネルギープラントの建設も県内各地で盛んに行われているが,建設や供用に伴う環境に対する影響は大きく,環境影響評価法などに基づく自然環境への適正な配慮の確保を図る必要がある。
- 水質汚濁・農薬
最近のネオニコチノイド系農薬の使用は,昆虫群集への大きな影響を与えていることが危惧される。特に,農薬による水質悪化は,水生昆虫類の生息に大きな悪影響を与えていると思われる。富栄養化に伴うヒシの異常繁殖による影響も各地で観察されており,注視すべきである。また,従前からマツノマダラカミキリによる松枯れ防止のために海岸クロマツ林への薬剤散布が続けられているが,環境への影響を十分に検討したうえでの農薬の選択ならびに散布を計画すべきである。
- 遷移進行・管理放棄など
平地から低山地にわたる里山は,多くの落葉樹の樹種を主体とした雑木林を含み,伝統的な農業様式とともに自然とうまく調和しながら豊かな昆虫多様性が維持されてきた。しかし,農業形態の変化や農業の停止に伴うため池の廃止,ため池の管理放棄,遷移進行により昆虫類は減少している。また里山を公園的に管理するために犯罪防止や散策を容易にする目的で林床植生などを刈り払う傾向があり,昆虫群集の生存に不適な状況になっている。また,遷移の進行や建物・農作業用資材の非木質化は,里地を好むハチ類の生息環境の悪化を招いている。開発などを行う場合は,部分的に自然環境や伝統的な農業様式を残すような計画が必要である。また,多くの重要な草原性昆虫が生息する平尾台については,これらを保全するために現在と同様に適切な管理を継続することが重要である。
- 外来種
他県と同様に,昆虫類の減少要因として,侵略的な外来種によるものが挙げられる。県内の止水域では,アメリカザリガニ,オオクチバス,ウシガエル,アカミミガメなどによる直接的・間接的な食害は憂慮すべきものである。特にアメリカザリガニは水生植物を食べることにより水生昆虫類の生息場そのものを破壊するほか,これにより水質の悪化を招くことも知られており,水生昆虫類の保全上重要な場所においては積極的かつ継続的な捕獲による駆除を行うなどの対策をとるべき外来種である。流水域ではブラジルチドメグサやナガエツルノゲイトウなどの外来水生植物類の悪影響が危惧され,これらが繁茂し覆い尽くすことで開放水面や水際植生帯,底層に生息する水生昆虫類に大きな悪影響を与えていると考えられる。クワガタムシ科や水生昆虫類などのペット昆虫では国内外来種の問題も看過できない。近年,オオクワガタやタガメなどの人気種の飼育個体の逸出,あるいは意図的放虫と思われる採集例が福岡市内や周辺の都市部で散見されるようになった。
- シカを始めとする獣害の増加・森林植生の変化
シカの増加により,森林の多くで下層植生が壊滅状態になるほどに食害されている。下層植生の食害に限らず中径木の樹皮剥離摂食,幼樹の摂食に伴う林床の乾燥化などによって樹林そのものが衰退している。県内では英彦山地や犬鳴山周辺でシカによる下層植生の食害が顕著に現れている。この食害はこれら下層植生を幼虫の食餌とする鱗翅類,ハバチ,植食性甲虫類などには死活問題であるとともに,これらの昆虫に依存する捕食性,寄生性昆虫にとっても生存を著しく危うくしている。また,森林の衰退に伴ってブナなどの立ち枯れ,菌類などの減少が進んでいることは山地性のコウチュウ類を始めとした昆虫類の減少の大きな原因となっていると思われる。一方で,シカの急増は食糞性や腐肉食性種の著しい個体数増加と分布の拡大を促しており,この点でも森林生態系に大きな影響を与えている。いずれにしても,森林性昆虫群集の保全のみならず森林生態系の保全を行うためには,国によるシカ害防止措置と同調してシカの個体数の増加を抑止する抜本的な対策を講じる必要がある。シカがまだ侵入していない県内北部の里地・里山環境ではイノシシの増加による被害も目立つ。沿岸部里山環境に生息する腐植食性のネブトクワガタの減少にはイノシシの食害が影響している可能性がある。
- 乱獲
クワガタムシ科などのコウチュウ類,水生昆虫などの人気種では過剰採集の影響も見逃せない。冷温帯林や特定のため池など元々の生息地が限定されている種はもちろん,現在のように生息環境の悪化や生息域の減少が著しい状況下では,過剰採集がいわば最後の止めとなって絶滅危惧種の地域絶滅を引き起こすことは十分にあり得る。特に,クワガタムシ類の材割り採集など生息環境の破壊につながる採集法は慎むべきである。一方で,条例などで希少種保全を図る場合には,対象種単独の採集規制ではなく,生息地そのものを保全する対策を講じることが肝要である。
- 気候変動
近年,温暖化など気候変動による影響も増大しており,特に冷温帯性の昆虫類に対して深刻な影響を与えている。県内では英彦山地や釈迦岳山地などの上部に生息している冷温帯性の甲虫類ではここ10年ほどでの高標高地への分布の後退が著しく,絶滅の危惧が増大している。アカエゾゼミやキュウシュウエゾゼミなども,英彦山や脊振山およびその周辺の山頂付近に生息環境が限定されており,温暖化の影響による衰退が懸念される。また,冷夏や暖冬,長雨などの気候変動に伴う餌植物のフェノロジー(樹液の流出量変化を含む)と植食性昆虫のライフサイクルのズレによる影響も顕在化している。気候変動に対する直接の保全対策は極めて困難だが,県内に僅かに残存するブナ林などでは縮小した生息適地に対する開発の抑制やシカ害の軽減などに努める必要がある。今後は,現在,北海道や琉球列島で深刻化している干ばつによる影響に関しても注視する必要がある。