ハビタットと保全対策
福岡県内における「クモ形類等」の保全上重要な環境として以下が挙げられる。
- (1) 自然海岸
県内の自然海岸として日本海側では岩礁や砂浜,瀬戸内海側や有明海側ではヨシ原や干潟が代表的なものである。今回挙げた種のうち,準絶滅危惧としたヒトハリザトウムシ,イソタナグモがこうした環境に生息する種である。県内の自然海岸は,道路や堤防,埋立てなどの開発の影響を強く受けており,陸域の樹林帯から水際まで続く本来のエコトーンを伴う姿は失われつつある。また,松くい虫防除のための薬剤散布による悪影響も大きいと思われる。したがって,現在良好な自然海岸は積極的な保全を行うと同時に,小規模であってもエコトーン帯の再生を行っていくことは,こうした環境に生息する種の絶滅回避に有効である。なお,県内の自然海岸に生息するダニ類,ムカデ類,ヤスデ類,ワラジムシ類の中には絶滅のおそれがある種もいるものと思われ,野外調査に基づく分布知見の蓄積も必要である。
- (2) 山地
県内では標高1,000mを越えるブナ林を伴う環境が代表的なもので,特に英彦山地では古くから調査がなされており知見が多く,英彦山をタイプ産地とする種(ヒコスベザトウムシ,ヒライワスベザトウムシ,ヒメタテヅメザトウムシ)や本県では英彦山でしか記録のない種(アカオニグモ)が存在するなど,本分類群の保全上のホットスポットの一つである。県内のこうした高標高の山地は,シカ食害による下層植生の破壊や乾燥化,人為的な気候変動の影響による温度環境の変化,降水量の変化により1990年代以降に悪化している。したがって,現在良好な山地森林は積極的な保全を行うと同時に,シカ対策を中心とした環境再生も進めていくことが,こうした環境に生息する種の絶滅回避に有効である。なお,県内の山地に依存するダニ類,ムカデ類,ヤスデ類,ワラジムシ類の中には絶滅のおそれがある種もいるものと思われ,野外調査に基づく分布知見の蓄積も必要である。また,県内では背振山地や釈迦岳山地など標高1,000mをこえる山地は英彦山地の他にもあるが,「クモ形類等」に該当する分類群に関する調査は全体的に不足している。こうした地域を絞った調査も進めていく必要がある。
- (3) 里地・里山
いわゆる二次的自然環境に該当する環境で,県内の低平地に広く存在する水田や畑地,その周辺の草地・二次林からなる環境が代表的である。今回挙げた種のうち,絶滅危惧II類としたヒゴキムラグモ,準絶滅危惧としたキシノウエトタテグモ,ゴホントゲザトウムシ,情報不足としたワスレナグモ,キノボリトタテグモがこうした環境に生息する種である。農業形態の変化や近代的な圃場整備の進展,管理放棄,宅地や工場用地としての開発などにより,その環境の悪化が続いている。したがって,いわゆる里地里山保全の枠組みで,管理放棄地の再生活動やビオトープ化など,官民一体となった継続的な活動を進めていくことが,こうした環境に生息する種の絶滅回避に有効である。また,里地里山に存在するため池や水路などの湿地環境は県内においても悪化の一途をたどっており,両生類,魚類,昆虫類,貝類などにおいてこうした環境に生息する種の多くが絶滅が危惧される状況にある。「クモ形類等」に該当する分類群においても同様である可能性が高いが,調査は全体的に不足している。こうした地域における野外調査に基づく分布知見の蓄積も必要である。
- (4) その他
洞窟性のクモ目,ザトウムシ目などについては知見が極めて不足しているが,他の分類群の状況を考えれば同様に絶滅のおそれがある種が存在している可能性が高い。しかし県内におけるまとまった知見がほとんどないことから,野外調査に基づく分布知見の蓄積が必要である。
以上,「クモ形類等」に関して重要なハビタットとそれぞれのハビタットにおける保全対策を整理したが,森林伐採,海岸開発,土地造成,道路工事,気候変動,シカ増加,遷移進行,管理放棄が主要な減少要因として整理できる。また,本分類群においては調査者や研究者の不足による情報の少なさは大きな課題であり,県域のどこにどんな種が分布しているのか,といった基礎的な情報の集積は今後積極的に行っていく必要がある。こうした情報なくては適切な保全対策の立案は極めて困難である。今後は今回情報不足として挙げた種,海岸性種,山地性種,湿地性種を中心に,分布調査を進めていく必要がある。
- 謝辞
当リスト作成にあたり,クモ目については馬場友希博士と鈴木佑弥博士から,ザトウムシ目については鶴崎展巨博士から多くご教示いただいた。ここに厚くお礼申し上げます。